【6日目】いわきの防風林。起源は戦国武将!

こんにちは!いわきのブロガー・まだやるよです。
今回もサクサクと書き上げたいと思います。
前回の記事はこちら。
【5日目】『麒麟がくる』感想!募る不信感が遂に表にでる。
■ 目次 1.豊間の防災林 2.内藤政長 3.その他の植物も 4.まとめ 5.最後に紹介しておきたいこと |
1.豊間の防災林
先日、豊間の海岸を訪れた際に見つけた看板です。
何気なく歩いていて、読み物があるのは嬉しいです。
日頃の音読の習慣から、ついブツブツと呟きながら読みました。

7種類の木が紹介されていました。
その中の「クロマツ」の説明文の中に、一人の人物名が挙げられていました。
クロマツ
本州から九州まで分布する常緑針葉樹です。いわきの海岸風景、白砂青松(はくさせいしょう・はくしゃせいしょう)の青松はクロマツをさしています。潮風に強いことから、江戸時代に磐城平藩を治めた内藤政長公が塩除けのマツとして植栽を始めた海岸林は政長公の法名から道山林(どうざんばやし)と呼ばれ、現在も海岸防災林としてその役目を果たしています。
「防災緑地に植栽している主な樹木」より(写真)
磐城平藩主「内藤政長」、聞き覚えがあるような…。
2.内藤政長
結論から言うと、初耳の名前でした。うろ覚え炸裂!
クロマツの説明文で登場した「内藤政長」は1568年~1634年。
先日扱った、幕末の磐城平藩主「安藤信正」は1819年~1871年。
【2日目】磐城平城藩主、安藤信正。掘り下げは後に譲ろう。
血縁者と思って読み進めていましたが、帰宅後調べ直して名字の違いに気が付きました。
違う時代の人物だったようです。
「関連付けて記事を書くチャンス!」と喜んだだけに、少々がっかりしました。
内藤政長
戦国時代から江戸時代前期にかけての武将(大名)。上総佐貫藩主を経て陸奥磐城平藩主。延岡藩内藤家宗家初代。官位は従四位下、左馬助。
Wikipedia「内藤政長」2021/02/01/20:55より
世代的には真田幸村(1567年or1570年~1615年)と同世代のようですね。
しかし、いずれにしても磐城平藩の人物ですので、次回以降の調べものについて、また一つ手掛かりが増えたということですね。
かねてより、この「点と点が繋がる瞬間」が快感であると感じていました。
これまでの人生の点同士が結びつく感覚はすごく気持ち良いんだけど、束ねるだけの力がまだ足りない🍎
— まだやるよ@いわきのブロガー (@x6dGEQ4ygetJ5Bg) April 17, 2018
その都度「片をつけられなかったこと」が今日まで響く弱点になっている🍎 pic.twitter.com/hYqOtWvTSj
雑学が雑学を越える瞬間は、情報の関連付けにあるのではないでしょうか。
3.その他の植物も
ということで、植物の名前を知っていることが別の機会に生きてくるかもしれないので、回収しておきましょう!
その他の木については簡単に。
クヌギ ・石油燃料へ移行以前は薪炭材に利用。 ・ドングリは受粉から成熟まで2年。 |
コナラ ・石油燃料へ移行以前は薪炭材に利用。 ・ドングリは受粉から成熟まで1年。 |
エゴノキ ・実にエゴサポニンが含まれ有毒。 ・ヤマガラなどの鳥は好んで食べるが、人は食べられない。 |
ヤマハンノキ ・開墾を意味する墾(ハリ)が呼び名の由来。 ・葉、枝、冬芽に毛が無い。 |
ヤマザクラ ・葉の展開と同時に開花。 ・和歌や俳句に読まれ、いわきでは勿来の関が名所。 |
ヤマボウシ ・白く見えるのが総苞で、中心に見えるのが花。 ・ハナミズキは類似種で別名アメリカヤマボウシ。 |
説明が長すぎても記憶に残りませんからね。
あつ森でのフータによる解説は、インパクトを残す上では、適切な文量なのかなと少々感心しました。
いわきにおけるヤマザクラ名所、勿来も昨年行きました。
勿来関は和歌によって伝えられた伝説の関!東北の怪物から都を守るために設置!
今、文章を書きながら思い返すと、歩道沿いの植木部分に7種類もあった画が浮かびません。
マツだけが印象的。
今回は看板の写真しか撮らなかったので、また訪れる際には実物の木にも注目したいです。
余談ですが、イオンモール小名浜の外周の植木も、色んな種類の植物があって楽しいですよ。
4.まとめ
・防風林を設置したのは、徳川家康に仕えた大名「内藤政長」。塩除けの効果があるクロマツを採用した。 |
5.最後に紹介しておきたいこと
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